この会社や部署は回らん、
そう勘違いするだけでなく、自分でそう言って憚らない管理職がいる。
どんな立場であれ、組織である以上は自分がいなくなったところで誰かがその仕事を代わりにするだけなので、一時的な混乱はあったとしても、その人がいないと回らないなんてことはない。
なんて偉そうに言う自分もその類いだった。
俺は50代の転職組なので、必然的に近場の上司は全部年下だ。(もちろん上に行けば俺より年上の上司はたくさんいる)
俺は平のペーペーなのだが、この若手に研修をしたいと思っている。
リーダーとはどうあるべきかって。
自分が一応民間で部長級まで務めた経験を、半分公務員的な社会福祉法人に還元できたらなんて生意気なことを思う。
今の組織では多分俺しかそういった研修は出来ないと思うが、それもまた勘違いで仮にそんな研修をしなくても別に組織は何事もないように回っていく。
すると、自分が自分でないとダメだと言える仕事は何かと言えば、少なくとも今の組織では、結局利用者へのお世話なのだ。
この介護士さんはいつも笑顔だ。
この介護士さんのケアはいつも丁寧だ。
この介護士さんはいつもしっかり話を聞いてくれる。
真心を尽くしたケアを行えば、利用者はこの介護士さんのいうことは聞こう、とかこの介護士さんと話がしたい、とか思ってくれる。
一応俺にもそういう利用者は一人や二人はいるが、全員からそういう信頼を得ているかと言えば全然だめだ。
おそらく上に行けば行くほど待遇もよくなり、責任の重い仕事も増えるのだが、多分そういう仕事は自分でなくても全然問題はない。
でも、俺が公休の日に、他の職員に利用者が「今日はたかさんさんはお休み?」なんて聞いてくれるとすれば、俺の代わりに誰かがケアはするだろうが、その利用者にとっては満足感が低い、寂しい、ということになる。
こういう仕事が出来れば、やりがいも高く、自分自身の仕事に対する満足感や達成感が高まり、自己肯定感も生まれるのだと思う。
俺が最近感じている仕事の充実感のなさは、そのギャップだ。
利用者に誠実に向き合えば充実感は持てるのに、優しくなれない。
正直今でもたまに思うのだ。
俺はこんなところでいったい何をやっているんだと。
前科者が働けるのとは幸せだし、介護の仕事は尊い。それに偽りはない。
俺は介護士として、全くなっていない。
今、何もする気が起きないのは、こんな感情にずっと心を支配されているからだ。
いろんな人に、いっぱい恩返ししないといけないのに。
本当に残念な奴だなあと、自分に愛想をつかしているのだ。
1日1個でもいいので、利用者に優しいことをしよう。
こんな腐った自分の皮を剥ぎ取らないと。