僕が初めて札幌のアパートに入った時、目の前にあったスーパーが店長のお店でした。
スーパーアロー
その入口にはアルバイト募集の手書きの貼り紙がしてありました。
学校が始まるまで間があった僕は特にすることもなく、アルバイトもしたかったのでアパートに入った翌日、直接店に面接に行きました。
スーパーアローはもともと4件の小さな商店がお金を出しあってスーパーにしたんだと教えてもらったのはずっと後でした。
理事長の乾物、肉屋、魚屋とそれぞれ責任者はいましたが、僕は店長の八百屋部門に入るのが一番楽しみでした。
学校が終わると帰る前にそのままスーパーに行き、レジ打ちやパック、値札貼りや品出しなどしました。
いい仲になることはなかったですが笑、同じ大学の女学生や女子高生と仲良くなったのもいい思い出です。
本当に店長にはかわいがってもらいました。
売れ残ったおかずなども他の店員と同じかそれ以上にくれましたし、昼飯もただでした。
そして初めてスナックや回らない寿司屋に連れてってくれたのも店長でした。
シャビシャビのコークハイでも真っ赤な顔で酔いました。当時はあまり飲酒運転も厳しくなく、店長も車を運転して梯子したこともありましたね。
寿司屋は中トロを生まれて初めていただきました。この世にこんなにうまいものがあるのか、と真剣に思いました。
感動して思わずおかわりしたときも、店長は笑ってみてくれていましたね。
たくさん遊んでいただき、たくさんご馳走していただきました。
パートのおばちゃんたちとも仲良くしてもらい、一人暮らしで寂しい思いをしなくなったのも店長のおかげでした。
ご馳走になった翌日、「昨日はご馳走さまでした、って言うのが礼儀やぞ」なんてことも教えてくれたのは店長でした。
アローを皮切りに、たくさんのアルバイトをしましたが、店長と一緒に働けたのは本当に私の人生の宝です。
バイトを辞めてずいぶん経って、アローがLAWSONになり、松井商店になり、しまいに昨日は何か住宅関係の店になっていました。
前にあった喫茶店と合わせて、もうそこにスーパーがあったなんて分からないくらいになっていたのがやはり寂しかった。アパートはそのまんま残っていたから、余計に寂しかったです。
でも、店長の家がないかと探したとき、30年以上前の記憶とぴったりのおうちがあったときは、本当に嬉しかったです。
店長に会いたいです。
もう80手前ですよね、店長。
酒やたばこ、パチンコは現役なんですかね笑
本当にずっと悩みましたよ。
一升瓶提げて行こうか。
実家から手土産何でもってこなかったんだ。
迷いました。本当に。
でも、
もし店長が僕のことを覚えていなかったら、
僕のテンションと違ったら、
店長が寝たきりになっていたら、………
そんなことを考え出したら怖くなって、そんな勇気もなくなってしまいました。
店長。
元気ですか?
僕はちゃんと教員になりましたよ。
ついこの前、逮捕されちゃいましたけど笑
店長。
本当に感謝しています。
ありがとうございました。
スーパーを止めた後、店長は何の仕事されていたんでしょうか。
きっと借金も残ったと思いますし、年頃のお子さんを抱え、大変だったと思います。
店長。
元気ですか。
僕は、お陰さまで元気です。