6時に起きて、布団を畳んでボーッとしていた。
俺が収容されていた留置所は、部屋と外壁の間に通路があり、警官が通れるような作りだった。(文章ではうまく説明できないが、入り口側が廊下になっており、反対側にトイレがあるのだが、その壁が直接外の壁ではなく間に通路があって外壁がある。)
その外壁の高い場所に小さな窓があり、閉鎖空間が苦手な俺は警官に頼んで少し窓を開けてもらっていた。そこから外の景色は高すぎて全く見えはしないのだが、外の空気を感じられるのと、空が見えるのが少し落ち着けるのだった。
寒かったからか、起きたときその窓が閉められており、少し苦しかった。
でも夜に病院でもらった薬を飲んだからか何とか耐えられた。
朝食はのりたまのふりかけ、のりの佃煮、たくわん、ご飯、味噌汁でのりたまとご飯4分の1ほどしか食べられなかった。
まだご飯は一度も完食は出来ていなかった。
朝食が終わり薬を白髪のお父さん警官からもらった。この人は無骨な感じはするのだが、思いやりを感じる人で、俺は好きだった。
薬を飲んで暫くすると発作がおき苦しくなった。
ちょうど運動の時間になり、外の空気を吸うことができた。
俺はお父さん警官に薬を1度に2錠飲めないか相談してみた。普段からそうやって飲んでいたのだ。
答えはNoで、気の持ちようだ、と言われた。
そんなもん気の持ちようでこの発作が収まったらどれだけ楽か。なにも知らんくせに、と思ったが、部屋に戻ると窓が開けられていた。
多分お父さん警官が開けてくれたのだと思った。
9時にN先生の接見があった。
発作のことやここまでのストレスもあり、もうどうしていいかわからない、と泣きついた。
N先生は俺の家族とのやり取りや今後の見通しを丁寧に説明してくれた。
それを聞いているうちに少し落ち着いてきた。
Facebookの件は警察に確認してくれたようで、取り敢えず俺の顔写真は削除してくれたとのことだった。
N先生は共感力はなく、常に事務的で淡々とはされているのだが、俺がお願いしたことはすぐに動いてくれ、無理なことも出来る限りのことをしてくれていた。
そして何より、毎日来てくれた。
俺はトータル18日勾留されたのだが、N先生が来なかったのはわずか1日だけだった。
つまり、自分の休みの日も俺のところに来てくれていた。
これはすごくありがたかった。
本当に人に救われた期間だった。