一つ後悔がある。
勾留中はすることもなく、漫画を読むか、その日にあったことの記録を書くか、寝るかの何れかしかなかった。
勾留中に考えたことの一つは、この経験を何かの形で伝えたいということだった。(その他にもいろいろ考えたがそれはおいおい…)
自伝小説を書くか、YouTubeにアップするか…
それで収入を得ようというのではなく、今自分が味わっている体験を誰かに伝えたかった。
この先会社は解雇されるだろうし、これまでの人間関係も崩れてしまうことは予想されたので、単純に人恋しかったのかもしれないが……
ただ、牢屋を出てみると、こういう逮捕体験をアップしたブログやYouTubeはアホほどあり、どれも分かりやすい。
ただ、整理され過ぎていて、俺が逮捕される前に自分でそれを目にしていたとしても犯行の抑制にはならなかったと思う。
だとしたら、俺が出来るのは逮捕されるって、勾留生活ってこんなに辛いんだよ、と伝えることだ。そう思った。
しかし、勾留中につけていた記録は淡々と何時に何があったという事実のみだった。
そのときに考えていたこと、感じていたことの記録がほぼない。
今となってはむしろその方が大事に思う。
辛かったのは紛れもない事実なのだが、どういう感情だったのかというのが具体的に思い出せないのだ。
これはかなり後悔している。
勾留中はもちろん、釈放され社会復帰していく過程、もちろんそれは今現在も含めてその辛さをなるべくリアルに伝えたい。
自分が収入を失ったことよりも、多くの人に迷惑をかけてしまったこと、自分が胸を張って自分の人生を歩めないこと、この方が遥かに辛く苦しい。
今は何をしても、必ずどうせ俺は前科者だから……という思いが過り、脱力感に苛まれる。
お天道様に顔向け出来る人生、これが多分一番悔いのない人生だ。
正しいことをきちんとやりきる。
当たり前のことだが、これを貫くのは難しい。
でも、こうすることが実は一番後悔しない。
そんなことを伝えたい。
今からでも、残りわずかでも俺はそんな人生を送りたい。