結果的に勾留最後の泊まりの日に俺は同居人を迎えることになった。
そのときに初めて知ったのだが、パニック障害をもっている俺に最大限の配慮をしてくれて、俺だけが一人部屋であとの牢屋には複数の被疑者が勾留されていた。
どこもいっぱいのため、やむなく俺の部屋に、となったわけだ。
16:00過ぎに入ってきた同居人はおじいちゃんだった。気の良さそうな普通の人だった。
おじいちゃんは、親しげに俺に語りかけてくれた。
すんません、よろしくお願いします。
そうおじいちゃんは年下の俺に礼儀正しく挨拶したあと、あんちゃん、何したの?と聞いてきた。
勾留されるときに警官から、いろいろ聞いてくる人がいると思うがあまり自分のことは話さない方がいいよ、と言われた。
類は友を呼ぶで、この牢屋の中で「仲良く」なり、良くない繋がりをもつケースも珍しくはないらしい。
あとでネットで読んだのだが、牢屋で仕入れた個人情報を手がかりに釈放後たかりやゆすりにくる輩もいるらしい。
まあ、そうだろう。
そういう人間が集まるところだ。
おじいちゃんは傷害?と向こうから聞いてきたので、はい、まあと適当に返事しておいた。
俺が聞いたわけでもないのに、おじいちゃんは身の上話をたくさんしてきた。
聞くところによると72歳で何度もここの厄介になっているらしい。
今回はパチンコをしていたら警察がやって来ていきなり逮捕された、もうこいつらのやることは恐ろしい、と警官に聞こえるような声で話す。
俺は同類に見られるのが嫌で、相槌を打つのも忍びなかった。
どうやら自転車を拝借した窃盗で捕まったようだ。
そういう盗癖があるじいさんなんや、と思いながら何気なく腕に目をやると、半袖の肘の上にチラッと刺青が見えた。
おおっ……
ちょっと僕病気をもっていて夜寝られなかったり、うろうろ歩き回ったりするかもしれませんがすみません、と一応言っておいた。
じいさんは、ああ、聞いているよ。全然気にせんしこっちは勝手に寝るからごめんね、俺はこっち側でいい?と自分から部屋の奥の便所側に行ってくれた。
ちょっと胸を撫で下ろした。