目が覚めたときは病院にいた。
病室の隅にいないはずの兄がいた。
「おお、起きたか」
歳が明け、日付は1月3日になっていた。
とにかく眠かった。
目が覚めたと自覚する前、実は1度短時間覚醒している。
校長が病院に来てくれた。
俺は校長が病室に入ったとき、おそらく兄に叩き起こされた。
「おお、大丈夫か」
ぎこちない笑顔の問いかけに俺は
「ありがとうございます」
と言い、ベッドで長坐位になった記憶はある。
でもそう挨拶した後、すぐに寝入ってしまった。その会話の後の記憶が映像音声ともに全くない。校長が帰った記憶もない。
俺は次の日に退院した後、兄に連れられて実家に帰ることになるのだが、その帰り道もずっと寝ていた。
ここからは兄から聞いた話だ。
俺は大晦日の夜、絶対に誰も通らないような山道のてっぺん辺りに車を停め、そこでODした。
どうやら、そこに通りかかった車があったようだ。
その時(大晦日の夜)は通りすぎたのだが、次の日(元日)も道端に同じ車が停まっていた(おそらく相手もこんなところに車が停まっているはずがないと思ったのだろう)ので、さすがに不審に思ったのだろう。
俺は車にサンバイザーなどの目隠しはしていなかったので、おそらくフロントガラスから人が寝ているのは外から見てわかったと思うが、1日たってもそこにあるので、死んでいると思われたようだ。
かくして警察に通報され、身元を所持品で調べられ、実家に連絡が行った、という流れのようだ。
ただ、俺は全く記憶がない。
きっと警察が車のドアを開け俺の生存確認をしただろうし、車から下ろされ多分救急車で運ばれただろうし、胃洗浄やカテーテルをチンコに入れられ、バルーンをつけられたのだが、そういった記憶は全く残っていないのだ。
さすが病院で処方してもらった薬だ。
バファリンのようなことはなかった。
自殺未遂なので、こういう場合保険はきかない。
確か10万弱のお金を払ったと思う。
3日間、俺は薬でほぼほぼ昏睡状態にあった。
薬で死ぬことはなかったそうだが、外は寒かったので凍死の危険はあったそうだ。
誰も通らないはずの道に誰かが2日続けて通ったおかげで俺は今生きている。
よかったのか、悪かったのか、こればかりはわからない。
でも、この日ここで死ぬ運命にはなかったということだ。
そして、兄の話だと俺が眠っている間にいろいろなことが動いた。
(つづく)