逮捕されても前向きに生きるブログ~人生をやり直したい人たちへ~

児童買春で逮捕歴のある初老の冴えない爺さんが社会復帰に挑戦するブログ

釈放後初めての就職活動 その1

正確に言うならば「転職活動」であるわけだが、まさしく俺の気持ちは「就職活動」だった。

 

とは言っても、実家に居候する身になった俺だが、何もする力はわかなかった。

 

食事はおにぎりだと喉を通ったため、高齢の母が俺のためにおにぎりを毎日作ってくれた。母の作るおにぎりは塩加減が絶妙で旨かった。と言うより、久々のおふくろの味に少しずつ癒されていたのかもしれない。

 

気力がわかないというのは外出はもちろん、風呂に入ることもそうだった。勾留生活で週に2回の風呂に慣れてしまっていた俺は、何なら1週間風呂に入らなくても平気なくらい麻痺していた。

 

持病の皮膚病の特効薬のようなものが勾留期間中に切れ、俺の皮膚はすごいことになっていたのだが、それでも、平気だった。

 

でも、やはり気持ちの焦りはあった。

失業手当も懲戒解雇のため支給には3ヶ月かかる。実家暮らしなので金はかからないものの、この年で無職で家にいるということはどうしても落ち着けなかった。

 

何となく介護の仕事を探し、そっちに就職するのだと思っていた。

以前にも転職活動をしたことがあったが、30台半ばになると職選びの範囲は劇的に狭まり、40になるともう限定的になるのは知っていた。

40を過ぎると介護しかないんだな、でも介護の給与はアホほど安く15万~高くて20万しかないんだな、という知識はあり、その時点で介護業界への転職可能性はゼロだった。

前の会社で550万、その前は400万の提示でそれですら安いと思っていた俺は、介護など見向きもしなかった。

 

 

でも、今回ばかりは状況が異なる。

働ければいい。でも、土木関係は体力的に無理。必然的に介護か、もしくは風俗だろう。でも、風俗は45の時点で面接すらしてもらえなかった経験があり、そんな簡単ではないだろうからまずはアルバイトかな、なんてうっすら感じていた。(俺は45の時にほとほとそのときの職場が嫌になり、土地勘のない都会へ出ようと思って大手の風俗チェーンに履歴書を送っていたことがある。転職の話はこの逮捕シリーズが終わったらまたブログにしようかな、と今は考えています)

 

スマホをいじっていると、「中高年歓迎」「未経験者OK」という文字が飛び込んできた。今となっては記憶が曖昧なのだが、おそらく介護関係の人材登録サイトだったかと思う。

 

こんな年の、こんな俺でも果たして働けるのだろうか。何かさせてもらえる仕事はあるのだろうか。まずはその手応えを知りたかった。

 

ネットで名前や住所、電話番号を入力し、送信した。

 

その返事は次の日に来ることになるのだが、その次の日は弁護士のN先生のところに成功報酬を払いに行く約束をした日だった。

 

 

次回のブログはその辺りも合わせた形で綴っていきたいと思う。