3日目の朝は5時頃起きた。布団をたたんでボーッとしていた。
この頃から少しずつ正気を取り戻し、夜はわずかながら眠れ食事も少しずつとれるようになってきた。
朝食はご飯、のりの佃煮、のりたまのふりかけ、沢庵2枚、ワカメの味噌汁だった。
もちろん大部分を残しはしたのだが、警官が俺のお膳を下げて向こうに行ったとき、「食べたわ」と他の警官に伝えている声が聞こえた。
俺が食事をしていなかったことを心配してくれていたようでありがたかった。
朝方、弁護士の先生が来てくれた。
今後N先生と書く。
弁護士は唯一、時間も回数も制限なく、かつ警官の立ち合いがなくて面会ができる。(身内などその他の人は人数や回数、時間に厳しい制限がある。詳しくはググってみてほしい。)
昨日お願いした会社への連絡は既にしてくださったようで少し肩の荷がおりた。
ただ、釈放されるためには今のままでは厳しくて親や兄弟に俺を監督してもらうという形にしないとダメだと言われた。
そして、いずれにしろ弁護士費用の着手金をもらわないといけない、と言われた。
俺はキャッシュカードを宅下げするから下ろしてもらえないか頼んだが、それは無理だとのことだった。
つまり、逮捕された事実を家に連絡させてほしいとのことだった。
正直それだけは勘弁してほしかった。
余計な心配はかけたくなかった。
特に母親は俺が逮捕されたと知ったら、おろおろするのは目に見えている。
しかし、俺は一秒でも早くここを出たい。
そして、身辺整理をしたい。
背に腹は変えられなかった。
俺はN先生に実家の電話番号を伝え、連絡を取ることを了承した。
おかん、びっくりするやろうな。
泣くやろうな。
そう思うと胸が苦しくなった。
本当にバカなことをしてしまった。
改めて後悔の念にかられるのだった。