鳴海ちゃんとの恋に破れ、結婚できないことに絶望した俺は、大学を辞める決意をした。
極端すぎる考えなのだが、それくらい俺は誰かに依存していないと生きる価値すら見出だせなかった。
それは片思いでも、思い過ごしでも十分だった。しかし、告白して結論が出た以上、希望を持つことが出来なくなっていた。
当時俺は学習塾でアルバイトをしていた。
そこの責任者にはよくしてもらっていて、自分の公私の悩みの相談にもよくのってもらっていた。
大学を辞めようと思っている。
そんな話をしたら、田崎さん(仮名)は、
「正社員で雇ってあげるから、休学にしておきなさい。1年たって気持ちが変わらなかったら退学すればいいから。だから休学にしておきなさい」
何度も俺を説得してくれた。
俺は何か逃げ道を作るようで嫌だったのだが、1年経ったら辞めればいいと言ってくれたことや、休学にすることが採用の条件と言われたことからそれを受け入れ、休学届を出すことにした。
このときの田崎さんの親身な対応が俺の人生のベースを作ってくれた。
田崎さんは俺が20歳の時に40代だったから、今はもう70過ぎだ。
田崎さんは先に塾を辞めた。夢を追うためだった。
その時には俺ももう辞めることは決まっていた。
大学に復学することにしたのだ。
詳細は割愛するが、働いていてやっぱり大学くらい出ておかないとバカにされるな、と悔しい思いをすることがあって、それなら戻ればよいと田崎さんが背中を押してくれたのだった。
「これで安心して辞められるよ」
田崎さんは笑っていた。
二人が退職した後、田崎さんとは2回プライベートで会った。
1度は復学してから、もう一度は就職してからだ。
1度目は田崎さんに寿司をご馳走したいと俺から誘い、美味しい寿司を食べた後手紙をもらい、その中に寿司代と合わせて「もっと本を読んでほしい」というメッセージが入っていた。
2度目は田崎さんの実家にお邪魔した。中華そばをご馳走になり、互いの近況を話した。
もうさ30年もあっていないのだが、俺は田崎さんの言うような生き方どころか、それと正反対の生き方をしてしまっている。
俺を大学に戻してくれた田崎さんに、なんのお礼も出来なかった。そんな人生を悔やんでいる。