大量の荷物と共に俺は実家に帰ってきた。
兄が結婚して家を建て直したので、実家には俺の部屋はない。
ただ兄の子ども、つまり甥っ子や姪っ子がまだ小さく兄夫婦の部屋で一緒に寝ていたので、俺は将来子供部屋として作っていた部屋に居候することになった。
俺は実家に戻って来てから真帆と会話をしたような記憶があったが、これを書いていて真帆との最後の電話をしたのは、前回書いたとき(自殺未遂をするずっと前)だったと思い出した。
自殺未遂したことも、教員を辞めたことも真帆は知らないはずだ。
兄と真帆の話をしてから、真帆とは間違いなく話をしてはいない。それは確実に思いだした。
真帆は金を返す、でもすぐには返せないから少し待ってほしいと言ったと前に書いた。
その後、こうも言った。
「子どもが産まれたら働けるようになるまでしばらくはかかるけど、私人形とか、ぬいぐるみを作る。裁縫好きだから。そんなに高く売れないし、いっぺんにたくさんは作れないから月に1000円とかしか返せないかもしれないけど。働けるようになったらまた体売ってでも返すから。」
もう体を売るなんて言うなよ、
そんな言葉を返したような気がする。
「だからたかさんさんの銀行の口座番号教えてくれない?」
「多分3月には少し返せると思うから。」
お金は返していらない、とは言えなかった。
腹の中に子どもがいるのを目の当たりにし、薄々だが一人で育てるというのは嘘なんじゃないかな、とその時感じていた俺は、少しでも返してほしかった。
俺が実家に戻ったのは前号にも書いた通り1月。
俺は精神的に病んではいたものの、さすがに今度は休んでいるわけにはいかなかった。
俺には真帆に入れ込んで作った借金300万が残っている。
毎月4万の返済だったが、元本が減るのは1万ほどで、残り3万は利子だった。
単純に全部返せるまで300か月、20年以上かかる計算だ。うっすら覚えている利率が18%だった。
正直1000円でも返してほしかったのだ。
俺は傷心に浸る暇もなく再就職活動をし、2月にはもう新しい職場で働き始めていた。
そして3月。
真帆からの返金が始まる月だ。
1日、入金なし。
2日も、3日も、
1週間、2週間経っても、
3月が終わり4月になっても5月になっても、それこそ1円すら真帆からの返金はなかった。
それが真帆の返事であり、正体であった。
(つづく)